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「あなたの心理はわかります」という人の心理は、誰が見るのか|学科長コラム
「私は心理学を学んでいるので、なんとなく、その人がどんな人かわかるんです」
そう言われると、少し身構えてしまう。
こちらはまだ自己紹介をした程度なのに、どうやら先方の中では、もう人物紹介の原稿が完成しているらしい。
心理学を学ぶことには、大きな意味がある。人の感じ方や行動を理解するための視点は、自分の思い込みを見直す助けにもなる。
だからこそ、学んだ結果が「私は人を見抜ける」という確信に着地してしまうと、少々もったいない。
人間を理解するために手に入れたはずの道具が、人間を手早く分類する装置になっている。
「あの人は承認欲求が強い」
「それは防衛反応ですね」
「本当は自信がないのでしょう」
たしかに、説明はつく。
しかし、説明がつくことと、その説明が相手の実情に合っていることは別である。
疲れていて返事が短かったのかもしれない。
慎重に言葉を選んでいたのかもしれない。
あるいは、その場でそこまで自分を語りたくなかっただけかもしれない。
生活も、仕事も、文化も、これまでの経験もある。
それらを尋ねる前に心理用語で話を閉じてしまえば、相手を理解する機会まで閉じてしまう。
しかも、「見抜く人」の解釈は、なかなか訂正されない。
相手が同意すれば「やはりそうでしょう!」
否定すれば「認めたくないのですね・・・」
黙れば「図星だったようですね」
これでは対話というより、どの道を選んでも同じ出口に着く観光施設である。
入場した側には、なかなか帰る自由がない。
気をつけたいのは、相手の穏やかな反応を、自分の分析が当たった証拠にしてしまうことだ。
「そうかもしれませんね」という返事は、納得の表明とは限らない。
「ここで反論すると、さらに分析されそうだ」という配慮かもしれない。
こちらが「心を開いてくれた」と感じている間、相手は会話を無事に終えるため、慎重に出口を探していることもあるだろう。
他人の心の動きには詳しいつもりなのに、自分の発言によって目の前の人が気を使い始めたことには気づかない。
もしそうなら、その得意な観察力を、一度こちら側にも向けてみたい。
いま、自分はどんな表情で断定しただろうか
相手が訂正できる余地を残しただろうか
理解したいのか、それとも理解できる自分を示したいのか
他人に向けた分析には立派な専門用語が並ぶのに、自分を振り返る段になると、急に「私はそういうつもりではない」で済ませてしまう。
その使い分けは、少々都合がよすぎる。
このことは、社会福祉士・精神保健福祉士、いわゆるソーシャルワーカーにとっても、他人事ではない。
ソーシャルワークにおいて、心理学の知識は役に立つ。
相談者の不安や葛藤を理解し、言葉にしにくい思いを受け止め、安心して話せる関係を築くうえで、大切な手がかりになる。
ただし、心理学の知識があることと、目の前の人の気持ちがわかることは同じではない。
資格や学習歴が、他人の内面を自由に解説してよい許可証になるわけでもない。
例えば、何かの手続きを進められない人を「意欲が低い」と捉えたくなる場面がある。
しかし、書類の説明が難しいのかもしれない。
交通費がないのかもしれない。
仕事や介護で時間が取れないのかもしれない。
以前、窓口でつらい対応を受け、足が向かなくなっている可能性もある。
そこで「本人の心理」の説明だけで納得してしまえば、本来調整すべき生活上の条件や、制度・環境の問題を見落としてしまう。
相談者の暮らしは、心理学の教科書一冊には収まらない。
家計も、住まいも、身体の状態も、家族関係も、職場も、利用できる制度も関わっている。
ソーシャルワーカーには、本人の思いを聴くとともに、その人と周囲の環境との関係を捉える視点が必要になる。
「あなたの問題は心の持ち方です」と説明されたところで、明日の家賃が払えるようになるわけではない。
心理を理解したつもりになる前に、一緒に確認すべき請求書があるかもしれない。
もちろん、相手について仮説を持つこと自体が悪いわけではない。
支援の方向を考えるために、見立てが必要な場面もある。
ただし、それは本人の話を聴きながら修正していくための仮説であって、本人から訂正権を取り上げる判決ではない。
「私はこう受け取りましたが、違いますか?」
「そう考えるようになった事情を、もう少し教えていただけますか?」
こう尋ねられる人のほうが、断言する人よりも、相手を深く理解する機会を持てるのではないだろうか。
全人的に関わるとは、相手のすべてを見通すことではない。
自分にはまだ見えていない事情があると考え、相手の言葉を待ち、必要に応じて自分の理解を改めていくことである。
そして、相手が心地よく関われるかどうかは、知識の豊富さだけでは決まらない。
鋭い人物評より、話を遮らないことが役に立つ。
内面の解説より、断りやすい尋ね方がありがたい。
相手が安心して「それは違います」と言えることは、立派な関係の成果である。
ニーチェは『善悪の彼岸』第146節で、次のように書いている。
深淵を長くのぞき込むとき、深淵もまた、あなたをのぞき込む・・・
この言葉を、ここでは対人関係への戒めとして借りてみたい。
他人の内面をのぞき込んでいるつもりの自分もまた、相手から見られている。
こちらが「あの人は承認欲求が強い」と分析している間、相手は「この人は、ずいぶん自分の分析力を認めてほしいのだな」と感じているかもしれない。
もちろん、それも確かめなければわからない。
だからこそ、お互いに決めつけずに話す意味がある。
自分だけが観察者席に座り、相手だけが観察対象になっていると思ったら大間違いである。
人間関係の観察室には、案外、マジックミラーなど設置されていない。
これは心理学を学んだ人だけへの注文ではない。
福祉の専門職にも、教育に携わる者にも、そしてこの文章を書いている私自身にも、同じ問いが向けられる。
「私は専門家です」と名乗る前に、自分と話した相手が、少し楽になったか、それとも余計に気を使ったかを振り返ってみたい。
人の心を見抜く眼鏡をお持ちなら、ときどき鏡の前でもお使いいただきたい。
そのときは、どうかご自身の第一印象だけで結論を出さずに。
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